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日々の萌えの発散場
上杉憲忠と足利成氏 少なくとも江ノ島合戦までは、周りがどんなにギスギスしてようが 憲忠と成氏はお互いを信じあっていたと思うんです 憲忠は僧侶として、成氏は信濃に亡命して育ち、 ほとんど同時期に、一方は関東管領 一方は鎌倉公方として鎌倉に入った二人 この二人なら、今度こそ平和な時代を作れる、みんな幸せになれるんだっていう キラキラした期待を背負っていたであろう若者たち 波乱万丈の成氏の人生から見れば、憲忠との時間はほんの序章に過ぎないですが、 この二人はほんと悲劇だと思います どうでもいいですが管理人設定では憲忠は上杉房定と並ぶイッケメーンのつもりです。 房定より地味ですが美人さんです。上杉家はイケメンが多いイメージ (次点後北条家) 定尊「私のことより、こうして足繁く雪下(鶴岡八幡宮)に通う上様のことが 私はずっと心配におざります。 結城以来の旧臣たちだけでなく、 管領様や長尾殿たちとも仲良くやっているのでおざりましょうや」 成氏「…………(´;ω;`)ブワッ」 定尊(図星!?) 信濃では成氏は長らく一人っ子状態だったので、 鎌倉では弟が近くに住んでるのが嬉しくて 用もないのに顔を出してしまう成氏さんとかだったらかわいくないですか(真顔) 成氏の兄弟って思ったよりたくさんいるのですね… 鶴岡八幡宮若宮別当という立場でありながら成氏のそばを 離れなかった弟(定尊)がいたことになんだかジーンとしてしまいました。 ところで定尊の前の雪下殿である弘尊も持氏の遺児だという説を見たのですが 本当なんでしょうか… それが本当なら弘尊は弟である成氏や定尊と雪下殿の地位をめぐる対立の上で 上杉方に与したことになるのですが、 成氏と一緒に古河についてったのが弘尊とする記述もあるので、 もしかして定尊と弘尊が混同されてるのかもしれない。むむむ。。。 しかし鶴岡八幡宮がにわかにアツい。去年も行ったけどまた行きたいです!! 拍手ありがとうございました!! お言葉に甘えてコメント遅くなってしまいましたが、 これからも東国の戦国時代をいっぱい描いていけるよう精進します!
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