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日々の萌えの発散場
昨日は時間があったので秋田氏関係の資料に目を通した中で 蠣崎慶広の書状で「殿様」という表現に「(下国愛季)」と注釈が付いていたのにキュンとしました ということが言いたいだけです。 だって…!殿様!!って!!! 慶広→愛季の呼称って「檜山殿」とか「屋形」とかそのあたりだと勝手に想像していたのですごくズキューンときました殿様!! 前どこかでチラッと「慶広の代には蠣崎氏は安東氏からの独立性が高かった」とか見た気がしたのですが それに反してこんなに明確な主従関係を結んでいたのかぁと感動しました。 もしかして蠣崎氏の独立性が高まったのは安東氏側が実季の代になってからって限定付だったのかもしれない 愛季と慶広はお互いに「うまいこと利用して最後の血の一滴まで絞りつくしてやんよ!」と思っていて 相手がそう思っていることにも薄々気づいている水面下の殺伐とした関係がいいです 管理人は安東主従を完全に勘違いしている。知ってる ところで慶広の広の字、旧字体だと廣になるのですが、 蠣崎慶広の個人名としてはどちらを使うのがメジャーなのでしょうか?? あんまり旧字体を使うのは好きじゃないのですが、慶廣の方がまとまって見えるような気もする 資料によって広も廣も使うみたいだし……うーむ PR この記事にコメントする
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