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日々の萌えの発散場
携帯のカメラで何とかアップしようという試み。しかしこれで限界です>< 外道と乙女の二足の草鞋を履きこなす男、それが松前慶広 秋田さんちはあの…設定上ちょっとアダルトな感じなので…(はい?) 管理人のレベルまで引き下げようと画策中です 例の『北海道の歴史』で萌えようという間違った感想文 長くなってしまったのでつづきに放り込んでおきます 蠣崎氏の秋田氏からの独立というのは慶広の独断専行というイメージを
管理人は勝手に持っていたんですが、 (あくまで松前氏側の主張である)新羅之記録によれば秋田実季公認のものだったようです。 慶広が上洛して、秀吉に謁見し、蝦夷地の支配権を認める朱印状をもらったときも 実季が同行してくれたらしいです。ちょっと驚きました! 管理人はどうしても松前氏と津軽氏を比べてしまうので、すごく意外でした 南部氏と津軽氏といえば秀吉による所領安堵の際完全に別個のアプローチをしていたことで 有名ですが、松前の独立はむしろ秋田がバックアップしてくれたと解釈していいのかしら 地域も事情も全然違うんでしょうが、なんとなく立花氏の大友氏からの独立を連想します あれは確か大友宗麟が秀吉に「ウチの立花はすごくいい子なので直臣にしたって下さい」(意訳) とお願いしたという話でしたよね。 最終的にその土地に残ったのが被官側で、よって当時の詳しい事情が主君側から語られる ことがないというのも似ている気がします ちょっと話が上手すぎるんじゃないの?という気がしないでもない でも、たとえ松前氏側の主張が真実だとしても、 秋田氏がずーっと昔から持っていた蝦夷地の支配権を手放してしまったのは事実なので 実季はどんな気持ちだったんだろう… というか、こういうところを書けば秋田さんちってすごく面白そうなのに 何故小説がないんでしょうか(ノд・。) 高橋克彦先生あたり書いてくれないかな…岩手県の話じゃないけど… PR この記事にコメントする
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