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日々の萌えの発散場
鎌倉に行って来ました!! 今回行ったのは、報国寺と浄妙寺、それから足利公方邸跡です。 公方邸は観光マップにも載っておらず、分かりづらいところにあると ネットで事前調査済みだったので、 google mapのナビ頼りに行ったのですが… 「目的地です」のガイダンスが流れた瞬間から、 ついさっきまで真っ青だった空からポツポツ雨が振り出し、 買ったばかりのカメラを取り出す頃には豪雨になっていました…… 必死の思いで1枚だけ写真を撮りましたが 呪われてるとしか思えないタイミング… 霊感0の管理人でもさすがにぞわっとしました 公方様がお怒りじゃーーー!!!(;´Д`)(憲忠じゃないの?) 何もないどころか強烈に印象に残った体験でした つづきに拍手おへんじです~ PR 武蔵国鉢形城は…………
長尾景春によって作られ その叛乱の拠点となった城であり 長尾景春の乱を制した上杉顕定の居城であり 武蔵天神山城から入城した北条氏邦によって 北条流に大改造された城である 景春・顕定は氏邦より100歳近く年上です(自分で書いておいてショックを受ける管理人) 戦国時代ってほんと長いね… さて、鉢形城は江戸城と同じく、武蔵国の支配者に大人気の物件です その魅力は景春の公認ライバル・道灌も認めていたらしく、 南関東ににらみをきかせるために、山内家伝統の上野平井城に引きこもっていた 顕定を無理やり引っ張り出してぶちこんだのが景春じまんの鉢形城でした。 よほど居心地がよかったのか、 その後鉢形はすっかり顕定のマイホーム化したわけですが(景春涙目) 当時から関東管領の居城として相応しい威容を備えた城だったようです まあ鉢形城址は氏邦ゴリ押しでしたがね!! しかし後北条氏萌えを備えた管理人に隙はなかった そんなわけで鉢形城に行ってきたのですが、眠くなってしまったので 写真や詳細はまた後日アップします なんかシリアス調になってしまった 関東管領上杉顕定と北条早雲(伊勢新九郎) 早雲は1432(永享4)年出生説と1456(康正2)年出生説があり、 現在有力なのは後者とされているのですが、もしそうだとした場合 1454年生まれの顕定の2コ下ということになるのですよ…! つーか顕定が若っ! 顕定が山内上杉氏に入嗣したのが22歳のときなので、当然っちゃ当然なのですが 顕定は管領就任期間が非常に長く 関東戦国フライング期(=応仁の乱前後)の代表選手というイメージが強いので、 誰もが認める戦国武将・早雲と同中(語弊)と言われると つい管理人は 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 と思ってしまいます 「この人とこの人は○○歳離れてる!」って調べてイメージががらりと変わることって ありますよね ところで、顕定さんの恋愛事情は純情と見せかけた純情(?)です カルピスウォーターのCMに出れるレベルのピュア加減です こんな奥手な顕定さんに春は来るのかな? ※お察しの通り管理人は顕定に夢見てます
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