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日々の萌えの発散場
山川の県史シリーズの青森県版を読んでいるんですが、
南部信直の弟・石川政信のことが書かれていて興味深いです 政信は、信直と同じ一方井ママの子で、高信の長男の信直が晴政の養嗣子として 三戸南部家に入ったので政信が代わりに石川家の嫡男として津軽石川城に入った と言われていますが、 あまりにも謎が多すぎてその存在すら疑われている人です 管理人は、津軽為信による石川落城の際、高信とともに政信も亡くなったと 思っていたのですが、こちらの「青森県の歴史」では、従来わりと否定されていた 南部氏側の主張を採用し、 政信は津軽郡代として高信の死後津軽に派遣された可能性を指摘していて、 その裏には実は安東‐津軽‐南部三者の 和議→戦争ループが隠れていたんだよ!! というふうに書かれていて、 おおお面白い!とワクワク読んでました あと 「一時の雄伏を余儀なくされていた大浦為信は~仙北角館の戸沢盛安とも 連携して秋田勢を牽制、天正十二年以後、連年のように比内侵攻をくり返す。 家督相続後の南部信直が着々と地歩を固め、権力強化を進めているのを見ての 行動であった。」 という文章に燃えざるを得ない管理人 この複雑で流動的な対立・同盟関係こそ戦国の華やで~! メルフォお返事遅くなって申し訳ありません。明日中には必ず…! PR この記事にコメントする
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