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日々の萌えの発散場
左から 東政勝・南長義・北信愛 三人揃って 信直政権下では、信直の側近として活躍した東南北家ですが、 どうも信直が家督を継ぐ前は様子が違ったようです。 派手な家臣の多い南部家ですが、今日は地味めの三人のことでも 語ろうかと思います(*´ω`*) まず、最も身分の高かったのは南長義で (諸説ありますが)三戸南部氏22代政康の三男といわれています。 晴政や信直から見るとおじさんにあたるわけです。 彼は晴政と信直の内訌が起こったとき、真っ先に信直支持の姿勢を明らかにしました。 次に当サイトではすっかりお馴染みの北信愛。 彼はおそらく三人の中で最も身分の低い人物でした。 北家はもともと南・東家と張り合う勢力を持っていたそうですが、 信愛の時代にはすっかりおちぶれ、南家の与力扱いされていたともいいます。 じっさい北信愛は南長義の娘を正室に迎えており、 長義死後も北家で存在感を示していたようです。 そんな信愛が、同じくいったん後継者レースに敗北した信直とともに 出世街道を駆け上ってゆくのですから、人生わからないものですね… 最後に東政勝ですが、彼はなんと晴政生前は晴政の忠実な家臣として 南長義や北信愛の居城を何度も攻撃しています。 それ以前には、八戸の庶流である櫛引清長と呼応して 八戸根城を攻め落としています。 その頃、すでに八戸家当主に就任してい政栄は 実の父である新田行政の葬儀のため城を留守にしていました。 不意をつかれて激怒したのは政栄の祖父・新田盛政。 晴政の援助を受けながら東・櫛引勢を撃退し、 さらに遺言で櫛引氏の領土を奪うよう政栄に指示したといいます。 政栄のじーちゃんぱねェ そんな東氏と一心同体だった櫛引清長は、九戸政実を支持していました。 ここに 晴政-九戸-東 VS 信直-八戸-南(北) の構図が完成します。 しかし晴政の死後、なぜか東政勝は九戸政実ではなく 天敵の八戸政栄が保護していた田子信直の側近として再び表舞台に登場します。 東氏の転向の理由、ひじょうに興味がありますね…! PR この記事にコメントする
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